芭蕉の句は「氷の僧」か「こもりの僧」か (産経新聞)

 【麗し大和・記者の裏話】(11)

 3月7日の「【麗し大和】(10)お水取り」で、芭蕉の句「水とりや氷の僧の沓の音」を紹介したら、「こもりの僧」ではないか、との問い合わせの電話やはがきをいただいた。中には詳しい番地が書いていないはがきもあり、お答えすることができないので、ここで少し説明をさせていただくことにする。

      ◇

 芭蕉は生涯に5回、奈良を訪れている。初めて奈良を訪れたのは貞享2(1685)年2月のこと。それをまとめたのが「野ざらし紀行」だ。

 そのなかに、「二月堂に籠(こもり)て」とあり、「水とりや」の歌が詠まれる。ところが現在、「氷の僧」とするものと、「こもりの僧」とするもの、2種類の形が伝えられていて、混乱が生じている。今回、「こもりの僧ではないか」との問い合わせをいただいたのはそういうことだった。

 実は取材するなかで、圧倒的に(パンフレットや展示パネルなどでも)「こもりの僧」としているのが多かったのは事実である。ただ、和歌や俳句の場合、漢字やおくりがななど参照する書物によって表記がまちまちなのはよくあることで、いつも複数の解説書や現代語訳を含めて目を通し、確かめることにしている。で、今回も調べたところ、「氷」と「こもり」の2種類あることに気が付いた。

 結論としては、「氷の僧」が正しいと考えざるを得ない。「大和路の芭蕉遺蹟」(増田晴天楼著、奈良新聞社)の説明がわかりやすかったので、かいつまんで引用させていただく。(記者による補完あり)

 「氷の僧」の出典は、「甲子吟行」(野ざらし紀行)と「芭蕉庵小文庫」(元禄9、1696年)。「甲子吟行」は芭蕉の真筆とされているし、いずれにもはっきりと漢字で「氷の僧」と書かれていて、疑う余地はないのではないか。かなで「こおり」ならば、「こもり」と間違うこともあり得るかもしれないが…。

 「こもりの僧」の出典は、江戸中期の俳人、蝶夢の「芭蕉翁絵詞伝」(寛政5、1793年)と「芭蕉発句集」(安永3、1774年)で、いずれも芭蕉(1644〜1694)没後100年ほど経過して書かれたもの。「氷の僧」では意味が通りにくいと考えた蝶夢が、「こもりの僧」と書き換えたのではないかとみられる。

 以上の検証をもとに、これまでもさまざまな研究者の意見があり、「こもりの僧」とするほうが、作品として優れているという意見もあるようだ。

 また、芭蕉が二月堂で、「こもりの僧」を「氷の僧」と聞き違え、極寒のなかで参籠する様子を見たこともあっておもしろい表現だと思い「氷の僧」とした…と想像をふくらませる解釈もあった。詳細は「大和路の」をご参照ください。

 というわけで、「氷の僧」が正しいと記者は判断している。ただ、「こもりの僧」とする句があまりにも普及したため、また意味が通りやすいこともあって、いまも「こもり」と表記されることも多いようだ。個人的には「氷の僧」の方がいかにも寒々しいなか、石畳に張った氷を踏みしめ参籠する練行衆の姿をみごとに表現しているように思えて、好きである。(山上直子)

【関連記事】
聖なる舞台「お水取り」 東大寺
漆黒の聖女に癒やされて 中宮寺の菩薩半跏像
平城京遷都は急がなくていい? 女帝がしぶったワケ
橘三千代の“平城京シンデレラストーリー”
阿修羅さまは休暇中 「興福寺国宝館」がリニューアル閉館中
20年後、日本はありますか?

在宅だけでは「限界」―全国老施協・中田会長(医療介護CBニュース)
正面衝突で3人死亡=小3男児も重体−堤防沿いの県道・名古屋(時事通信)
<プルトニウム>電事連や原研 保有量公表(毎日新聞)
将棋史上2人目の1000敗、有吉九段(読売新聞)
阿久根市の口座差し押さえ命令(読売新聞)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。